
対立とは、辞書で調べると
二つのものが反対の立場に立つこと。また、二つのものが互いに譲らないで張り合うこと。
とあります。
以下のようにも記載されています。
>同等の地位で2つの事柄が対をなして両極から向かいあっていること。
親子になぞらえると
共に1人の個性ある人間として立ち、対面している状況も「対立」と言えるでしょう。
何かが存在するとき
ある程度の対立(反発)が必要だと思いませんか。
例えば、反発なければ、私たちはこの姿を保てないでしょう。皮膚があって、気圧に反発するから、こんな形で存在ができます。形なく液状化すると大変です。
地面に立って動けるのも、対立し、反発があるからです。
同じように、人もそれぞれが対立し反発する部分があって当然かもしれません。
人の自由の障害は、他人の自由だと言います。自他の自由の対立するところに、ルールやマナー、思いやりが生まれます。
親からの自立がテーマとなる青年期について、研究者が以下のように述べています。(衝突・紛争は「コンフリクト」という言葉で表現)
「よい子」には、親子のコンフリクトがない場合が少なくないと思われるが、だからといって問題がないとは言えない(略)。「よい子」とは 、能力主義的な評価の枠組みをそのまま内在化して自分や他者を一方的に評価するために、世界を相対化するだけの自分だけの世界を持ち得ず、そのために傷つきやすく、自己の表現を回避し 、他者の期待に答えることでしか自己を生かすことのできないと考える者を言う。※1
上の文から、対立や衝突は、自立の話と関係すると言えそうですね。(「自分だけの世界を持ち得ず」「他者の期待に応えることでしか自己を生かすことができない」)
先の論文で、以下のような分析が記載されています。
大人と違って逃げ場を持たない子どもは 、非行や不登校などによって、自分への統制やみせかけの健全に反抗しようとする。しかし、自己破壊的な反抗ができない子どもは、親の権威や強すぎる「愛情」の前で、「よい子」を演じ続けるために、他者に対する「よい子」と自分自身の喪失という分裂した状況から抜け出す契機を持たない 。
つまり、親とあまりに同一化するのは、子どもにとって自分自身の喪失の危険があります。
では、ここでブログの題名の〇〇を、ポジティブ・ディシプリンから答えてみます。
対立や衝突しない子育てはない。対立や衝突は「相互理解」のチャンス
ポジティブ・ディシプリンでは、
親子の衝突は、ほとんどがお互いのニーズの違いだと捉えています。
でも、そもそも「違い」は、悪いものでしょうか?
「違い」はあっていいし、豊かなものと考えることができます。
そして、お互いの「違い」を大切にしながら、お互いのニーズを満たす方法もあります。お互いのニーズを満たす方法は、自分1人ではなかなか出会えない世界や身につかないスキルを得ることができます。
例えば、私が子どもと、リビングにある子どもの荷物を片付けないことで衝突する場面。
私は、今すぐ(子どもが帰ってきたらそのまま)ランドセルなど自分の部屋に持って上がって、片付けてほしいというニーズがあります。
一方、子どもは、帰宅したばかりはくつろぎたいから、自分のタイミングで荷物は片付けたいというニーズがあります。
もしここで私が衝突を避けたら、子どもに片付けてほしいことは伝わらないし、みんなで使うリビングを自分の荷物で散らかさないスキルが育つ機会を奪っていることにもなります。
だから、私は、子どもに片付けてほしいことを話します。子どもにとっては、片付けてないことは大したことではないのでムシしたりしますが、私はムシされるのが嫌なことを伝え、子どもがどうしたいか話を聞きます。
すると子どもは「17時になったら持っていく」と宣言し、私はリビングにある大きな荷物はなくなるのでニーズは満たされ、子どもも帰宅して少しゆっくりできるので、お互いのニーズが満たされます。
私は、子どもも私と同じように、帰ってきたら家ではくつろぎたいんだ、と考えてみれば当たり前のことに気づき、子どもを理解します。
子どもは私をはじめとする他者が、散らかっていることを居心地が悪く感じることを理解します。
対立や衝突は相互理解のきっかけであり、チャンスになっています。
ポジティブ・ディシプリンを使っていなかった時は、衝突は相互「理解」ではなく相互「破壊」で、私は子どもが私の言う事を聞かないと感じ、怒りを爆発させていました。子どもも、片付けたいニーズがないのに加え片付けスキルもなく、親の苛立ちと同じように怒りでぶつかってきました。
結果として、お互いが相手が悪いと思い、相手のことを理解することなど考えもせず、ただただ不愉快で、関係は破壊的でした。
しかし、ポジティブ・ディシプリンを学んだ今
親子の衝突は、大人の子どもへの理解不足であったり、子どもの問題解決能力不足かもしれないと思えるようになりました。
だから、私はもう、親子の対立や衝突を恐れることはありません。
対立や衝突をきっかけに、子どもの考え方や感じ方を聞き理解し、お互いに相手も自分も大切にするために何ができるか考えます。
お互いのニーズを満たす方法を子どもと一緒に考えることで
子どもには、衝突を暴力的でなく解決する方法を、身をもって教えることができます。
子どももまた、一緒に決めたことを守るようになり、問題解決能力が向上しています。

対立や衝突しない子育てはない。
対立や衝突は「相互理解」のチャンス
そして「相互理解」は、お互いの自立と協力のチャンスだと感じます。
ですから、皆さんにも対立を恐れないでほしいし、破壊的に終わらないでほしいと思います。
最後に、先の論文に語られている対立や衝突の持つ可能性を。
避けていた親子のコンフリクトへの直面を通して親子が出合い直し、お互いの愛情を確かめ青年が自分に対して責任のある行動が可能に なっていくと考えられる。親子のコンフリクトを回避していた親子がそれに直面することは、親子の自立の上で重要な役割を果たすと言えよう。
※1 白井利明 , 1997「青年心理学の観点からみた 「第二反抗期」(< 特集> 若者のこころに迫る: 今, 第二反抗期は?)」